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信長を裏切ったら「妻子を惨殺」された!でも茶道具だけは守った豪胆すぎる武将・荒木村重

日本史あやしい話19

■自らの意思を押し通したことで、妻子一族が惨殺の憂き目に

 

 その後の状況は相手が信長ゆえに、ご推察の通り。裏切り者の村重に怒り心頭の信長が、見せしめにと、村重の妻子はもとより、荒木一族をことごとく捕らえて惨殺してしまったのである。

 

 重臣の家族36人、女房衆122人まで皆殺しにしたばかりか、村重の家臣を匿ったとして、高野山の僧数百人をも捕えて殺害。これ以上はないと思えるような蛮行を繰り返したのだ。

 

 阿鼻叫喚の叫び声がこだまする城内の様相を知ってか知らでか、逃げた村重はといえば、毛利氏に救いを求めた後、尾道で隠棲(いんせい)。さらには、堺へ移り住んで茶人として復活したというから、何をか言わんやである。前述の「妻子を捨ててまで茶道具〜」の烙印を押されたまま、堺において、52年の生涯を閉じたのである。

 

■裏切りを恥じてか、自ら「道糞」に改名

 

 意地を押し通して、城を明け渡すことを頑なに拒んだ挙句の逃避行。それがたとえどんな意が込められたものであったとしても、自らが撒いた種による悲劇であったことは間違いない。晩年には多くの人々を死に追いやったことを恥じたものか、名を「道糞(道薫)」と変えたようであるが、それごときで道義的責務が消えるとは思い難い。

 

 利休七哲の一人にまで数えられるほど茶人として成功を収めた人物であったというが、茶器ばかりか、愛人まで同行させていたとの怪しげなる説までもがもし本当だったとすれば、とてもとても、許されるものではないだろう。

 

 もちろん、責務が本当にどこにあったのか定かではないものの、自らの行動によって、結果として大勢の人々が惨殺されてしまったその罪は、決して軽いものではありえないだろう(殺したのは信長ではあるのだが)。

 

■絵師となった村重の子・岩佐又兵衛の思いとは?

 

 さて、今回の主役は村重ではあるが、実はもう一人、その子・岩佐又兵衛にも、スポットを当ててみたいと思う。この御仁、村重一族がことごとく捕らえられて殺害された際、乳母の機転によって、奇跡的に難を逃れて生き延びたという村重の実の子であった。

 

 当時1歳、乳母に救い出された後、石山本願寺に保護されて成長。母はもとより親族をことごとく葬り去った信長の子・信勝に仕えたというから不思議である。どのような経緯によるものかはわからないが、心の内を知りたいものである。

 

 ただし、案の定というべきか、そう長くは続かず、浪人に。その後京の都に出て、絵師を目指したようである。ところが、又兵衛はここで開花。絵師としての才能を存分に花開かせ、福井藩主・松平忠直に招かれて福井に移住。長谷川等伯にも認められ、ついには「浮世又兵衛」とまで称されるほど、浮世絵師として活躍していったのである。

 

 代表的な作品には、『洛中洛外図屏風』や『源氏物語・花の宴』など数知れなく存在するが、何と言っても印象的なのが、『山中常盤物語絵巻』である。源義経の母として知られる常盤御前。歌舞伎や浄瑠璃の『山中常盤』では、とある宿場で盗賊に襲われ、裸にされた挙句惨殺されたことになっている。その死の情景を描いたのが、この絵巻物であった。

 

 盗賊が、薄ら笑いを浮かべながら、常盤御前の露となった胸に刃を突き刺す残虐なシーンを実にリアルに描いているのだ。親族一同をことごとく信長に殺されたという悲惨な幼児体験が影響したものかどうかは定かではないが、その残虐性は特異である。

 

 本人の意図がどうあれ、結果として妻子ばかりか親族一同に至るまで見殺しにした父・村重について、又兵衛はどう思っていたのだろうか?

 

 この父と子、実は一度だけ再会したことがあったという。心に秘めた想いは山とあったはずであるが、ともども終始無言だったとか。

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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